私のキャリアは、まだ世の中がバブル景気の余韻に浸っていた時代に地方の銀行員としてスタートしました。当時は、銀行・証券会社などの金融機関は花形の仕事でしたし、銀行はバブルの波に乗りどんどん融資(基準に則り審査はしますが)を広げました。その後、バブル崩壊とともに各方面からバッシングを受けた通り、厳しい取り立てを行うようになりました。借りたものを返すのは当然なのですが、繰り返し返済を迫る仕事は辛く、返済できず倒産する零細企業を見ることは大変苦痛でした。このような中で、仕事に疑問を感じて退社を決意しました。
生まれ育った場所が朝日工業の近くでしたので、子供の頃は近所や知り合いに当社関係者がいました。また、地元では安定していて評判のいい会社ということと、馴染み深さもあり転職を決めました。当初、銀行では皆集中し張り詰めた中で仕事をしており、会社はそういうものだと思っていましたが、当社はアットホームでゆったりとした雰囲気だったので、逆に戸惑うところがありました。最初の配属は、銀行出身ということもあり財務課でした。主な仕事は資金繰り作成や銀行関連の書類作成などでした。2年間財務課の仕事を行い、経理課へ異動となり7年間いわゆる経理業務を行い、会計や税務などの実務経験を積みました。
2013年に、2度目の財務課勤務となり、主に資金の借入を担当することになりました。しかし、その当時は景気が悪く、私のキャリアの中で最も試練の時期でした。追い打ちをかけるように、何十年に一度という大雪が降ったことで製鋼工場の屋根が座屈したため工場が停止となり、資金面が悪化しました。何度も何度も社内で議論を重ね、銀行と交渉し、遂に交渉がまとまり融資が決定した時には、本当に何にも代えられない喜び・安堵感に満たされ、体中の力が抜けたように感じたことを憶えています。その後、TOB・分社化など財務に関わる大きなイベントにも遭遇しましたが、それらは「忙しい」経験として記憶に残っているだけで、この最大の経営難での経験は、私にとって良い意味でも悪い意味でも鮮明に残る記憶です。
その後2016年に財務課長、2022年経理財務部(当時は主計部)副部長、そして2023年に経理財務部長となり、現在は銀行で培った知識・経験を活かし、朝日工業グループ全体の借り入れに関わるマネジメントや会計業務に力を注いでいます。
当社に入社してからの最大の後悔は、試練を乗り越え銀行からの融資が決定し、一時的にホッとし飲みに行くまでは良かったのですが、その後サウナで眠ってしまったことです。これがその後、私の人生最大の悲劇をもたらすことになりました。目が覚めると痛みが……!そのまま搬送され、左半身の低温やけどで約3ヶ月間入院することになり、痛みと後悔の日々が続きました。やけどの手術も終わり退院し仕事に復帰しましたが、1か月間は左手が動かず、その後何とか左手も使えるようになりましたが、4年間くらいは左手が不自由でした。自分の不注意ですので、痛みが何年も続いたのは仕方ないとしても、同僚や上司に多大なご迷惑をかけてしまったことに対しては、今でも反省しかありません。
世間では経理や財務は暗い人達が細かい仕事をする部署という印象から、あまり魅力を感じない人が多いようです。しかし、会社にとって重要な経営資源である「ヒト・モノ・カネ・情報」の一つを扱う部門であるから、重要な役割を担っていることは言うまでもありません。私は部長としてこの敬遠されがちな経理財務部に親しみを感じていただける、オープンな部署にしたいと考えています。また、会社全体に会計や財務の知識を広めることが、企業価値向上につながると考えていますので、今後は経理業務を身近に感じて皆さんの業務に活かせる仕組みを作っていきたいと思っています。
趣味は音楽を聴くことです。特に洋楽のハードロックやヘヴィメタルが大好きで中学生の頃から聴いています。ここ数年は、コロナ感染症の影響から機会が有りませんが学生時代の友人とライブへ頻繁に行っていました。日々、パソコンへ向かう仕事により溜まったストレスもライブへ行くことで発散できますので、リフレッシュしてまた仕事に取組むことができます。
私が転職した時代は、終身雇用制が当たり前で転職がネガティブに捉えられていました。もちろん、時代は変わっても一度立ち止まって自分を見つめ直してから決断すべきだと思いますが、今の時代、自分のやりたいことに挑戦しやすい環境が整っているので、決断したからには勇気を持って新しいことにチャレンジし、人生を有意義に過ごしていただきたいです。